ポルトガル旅行記

20091018日~1028日)

 18の朝7時15分に新千歳空港集合。メンバーは、御夫婦3組、友人4人組、一人参加3名と添乗員のKさんの計14名。名古屋・中部国際空港からルフトハンザ航空にて、ドイツのフランクフルト空港へ。所要時間12時間10分で時差7時間。飛行機は新しく、座席の前に専用のテレビが。飛行機の中は特に寒くも熱くもなかった。フランクフルトからポルトへ。乗り継ぎ時間が6時間もあり、Kさんの提案でメンバー全員フランクフルトの中心部見学。ドイツも始めての私は旧市街の素晴らしさに、いつかゆっくり訪ねたいと思った。

寒かったので早々に空港へ引き返す。ドイツ時間21時55分発のルフトハンザで、ポルトガルのポルトへ。更に時差1時間、時計を遅らせる。所要時間2時間40分ようやくポルト着。

 

 19日午前、ポルト市内見学。自由の広場を中心に歴史地区観光。まずアズレージョ(装飾タイル)が美しいサンベント駅へ。20世紀初め修道院の跡地に建てられたこの駅は、壁一面ブルーだけでなく、カラフルなタイルで飾られている。ポルトガルでは、いろいろな所でアズレージョがみられる。

次に、丘の上のカテドラルへ。元は要塞として作られたので、窓が小さい。中はその昔、南米ブラジルから略奪(?)した金で造られた豪華な装飾の祭壇。丘の下にはドウロ川の向こうに、赤い屋根の街並みが見える。

対岸からも見学しようということで橋を渡りノッサ・セニョール・ド・ピラール修道院へ。現在は軍事基地になっていて、ミサは日曜のみとか。坂道の途中には赤いブラシの木が植わっている。建物の中には入れないが、庭からはエッフェル塔のエッフェルがデザインした橋も見える。

ネオゴシック様式の美しい本屋さん「レロとイルマオ」へ。まるで魔法の国の本屋さんのようで、デジカメでバチバチ。一通り撮り終わり、中心の美しい螺旋階段を上がって2階へ。外国人の(私もそうだけど)団体がやってきて、あっちこっちカメラに撮りはじめた。従業員がやって来て、ノー・フォトと叫んでいる。素敵な本屋さんなので撮影だけの人も多いそうだが、私は入った途端、目に付いたフクロウのイラスト入り来年の日記帳も買ったしルンルン気分。

集合時間の11時半。店の前には誰もいないしバスもない。あせっていると添乗員のKさんが来て、他のメンバーは皆、隣の喫茶店でお茶しているとのこと。私は時間がないので、ちゃっかりトイレだけ借りることに。トイレの前に並んでいる時、私のミスでトイレ近くのテーブルに置かれていたナイフとホークを床に落としてしまった。またまたあせっていると、近くにいた現地の御婦人がそれを厨房に持って行ってくれた。本当に“オブリガード”(ありがとう)。日本語の“ありがとう”はポルトガル語の“オブリガード”から来ていると言う説があるそうだ。次はドウロ川沿いの歴史地区散策。

何処からともなく、美味しそうな魚の匂い。川沿いの街並みはとてもきれい。外にたくさんのテーブルやイスが並べられ、レストランもたくさん。ここで食べたかったけど、我々の昼食は旧市街内のレストラン。

テーブルにはレタス、人参等の生野菜、オリーブ、パン等が並べられている。写真左はタコのてんぷら、右はカルディラーダ(ポルトガル風ブイヤベース)。デザートはチョコレートケーキ。タコも軟らかく皆美味しかった。ちなみにビールは2.5ユーロ。食後はドウロ川クルーズ(約50分)

少し寒かったが気持ちよかった。船はドイツ人観光客(たぶん)と一緒。川の上から眺める街並みもきれい。船は対岸のガイア地区に着岸。ポートワインで最も有名な“サンデマン”のワイナリーへ。工場は別の所にあり、ここは観光用の貯蔵庫。トレードマークの黒いマントとハットの従業員が説明してくれる。日本語のスライドを見た後2種類のワインを試飲。甘~い。アルコール度数も高い。

ホテルそばのショッピングモールの中にあるスーパーで買い物。スペインの商品が多いようだ。ポルトガルのクッキー、水、ビール等購入。ホテルへ戻る。本日の夕食はホテルにて野菜スープ、豚肉のオーブン焼き(ポテト、人参添え)、デザートはティラミス。

 

20日7時に起きて窓の外を見ると強風に雨。ホテル内のレストランで朝食後外を見ると、雨は止んでいた。9時にロビー集合後、アヴェイロ郊外のコスタ・ノヴァヘ。昔の漁村も“パジャマの家”が建ち並ぶリゾート地になっている。パジャマの柄のようなカラフルな縞模様の家が建ち並ぶ様子は、積み木を並べたようだ。夏の別荘地も今は人通りも少ないが、マーケットには新鮮な魚が並ぶ。

たくさんの素敵な別荘を見た後は、運河で有名なアヴェイロへ。ここでもアズレージョの美しい駅へ。ここは外側の壁に青い模様のアズレージョが並んでいる。

次に中央運河へ。ここにはモリセイロと呼ばれる先の尖ったゴンドラのような小船が浮かんでいる。K さんがアヴェイロで一番美味いと評判の名物モナカ(オヴォシュ・モレイシュ)を皆にごちそうしてくれる。中の餡子が鶏卵と砂糖の効いた美味しいお菓子だった。ポルトガルでは沢山の美味しそうな、生のお菓子を見かけた。買って帰りたかったが、賞味期限の問題で断念。

その後、コインブラ市内のレストランにて昼食。メニューは前菜の野菜サラダ、メインは名物の子豚の丸焼き(大きくなると臭みが出てくるので、生後1週間くらいの子豚を使う)。可哀想だけど皮はパリパリ、肉はジューシーで美味しかった。デザートはアローシュ・ドース(お米のプディング)。

午後は大学の町コインブラ観光。モンデゴ川の高台に建つ、聖イザベル教会(新サンタ・クララ修道院)の庭から、対岸のコインブラの町を眺める。

現地ガイドさんと合流し、ポルトガル最古のコインブラ大学へ。伝統的なマント姿の学生は、あまり見かけない。見所の図書館内部は残念ながら撮影禁止。約30万冊の蔵書が美しい装飾の本棚に並べられており、まるでホグワーツ魔法学校に出てきてもおかしくないような、不思議な空間だ。本を傷めないように、温度管理に気をつけ、本に付く虫を退治するためにコウモリを住まわせているそうだ。昼間なので見えないが、夜は豪華な調度品にフンがかからないように、布を掛けるのだとか。

その後、旧市街の坂道を下る。とても傾斜のある坂道で“膝壊しの坂”と呼ばれているとか。住んでいる人はたいへんだ。途中、ロマネスク様式の旧カテドラルへ。内部は一部修理中。

更に下って行くと、歩行者天国の商店街。ちなみに、ここでは坂を上がるほど商品の値段も上がるのだとか。自由行動でショッピング。ここで金平糖の原型コンフェイトを見かける。ガイドブックによると、ポルトガルでは一般にイースターに食べられ、透明感のないイボイボの丸い砂糖。リスボン辺りではほとんど見られず、コインブラ、ポルト辺りで細々と作られているそうだ。

本日のホテル、ドム・ルイス。今回の旅行で一番ひどかった。ホテルに着くたび、添乗員のKさんが各部屋を回り、様子を聞きにくるので、その前に部屋の点検。私の部屋は山側のシングルルーム、バスタブなしシャワーのみ。本日は満室だそうなので、それはかまわない。ところが使っていないはずのコーヒーカップに口紅が付いていたり、ピアスの片方が洗面台に(髪の毛付き)、使いかけの石鹸が洗面台に(新しいのは無い)、トイレットペーパーはちぎりっぱなし(とすると、掃除してあるの?)、サービスキャンディーの中には中身の無い紙が。

Kさんに事情を話すと、従業員が新しいコーヒーカップとトイレットへーパーを持って来た。あの~そういう問題じゃなくて。ベッドメークには問題がなかったので、終わった後誰かが入ったのだろう。チェックアウトがきちんと済んでから清掃するべきでは!夕食はバイキング。ワインと水はただ。

夕食後、希望者のみタクシーでコインブラのファドハウス“ア・カペーラ”へ。教会を改装したファドハウスはこじんまりしていてアットホームな感じ。コインブラは男性ファドが中心でボーカル、ギター、ポルトガルギター(ボディーが丸)の3人編成。ちなみにライブが10ユーロ、紅茶2.5ユーロ。

 

  21日コインブラからモンサントそしてマルヴァオンへ。モンサントはかつて“ポルトガルで最もポルトガルらしい村”に選ばれたことがあり、ゴロゴロした大岩と家が一体化している。我々が着いた時、村は深い霧に包まれていた。丘の中腹に広がるモンサントの村を抜け山頂の要塞へ。もちろん下は深い霧で何も見えない。かつて要塞だったのに敵の侵入が防げたのだろうか?

昼食はモンサント村のレストランで肉と魚のコロッケ、野菜のスープ、メインのポルトガル風チャーシュー、お米の付け合せ、モンサント風プリン等。ここのトイレも大岩と合体。

昼食を食べ終わる頃には霧も晴れ、レストランの勝手口から外を覗くと、雄大な眺望が広がっている。深い霧も晴れ大岩と建物の関係がよく分かる。岩と岩の間に建つ家や岩が壁の一部になっている家等、不思議の世界が現れた。

レストランを出ると霧は晴れていたが、雨が降り出した。1軒だけ開いていた店を覗きバスへ。バスの中は、あまり暖かくないがちょっとうたた寝。バスは明日見学予定のカステロ・デ・ヴィデを抜けて、坂道を登って行く。だんだん霧が濃くなっていき、せっかく断崖の「鷲の巣村」のマルヴァオンに行くのに下方の景色が見えない。村の中にバスは入れないので、ホテルまで約200m歩く。

本日の宿はアルベルガリア。御夫婦と数人の従業員で営業している、ペンション風のこじんまりした宿で新しく清潔。部屋もきれいで、通りに面した窓からは、遥か下の街並みも見える。昨日とは大違い。ここに連泊うれしいな。夕食はここのレストランで野菜のスープ、タラのフィレ、プリン。

 

 22朝起きて窓を開けると、ちょうど朝日が昇ってきた。

午前、カステロ・デ・ヴィデへ。まず町が一望できる、小さな礼拝堂のある小高い丘へ。眼下には白壁とレンガ色の屋根が美しい町並みが広がる。その後、町の中へ。

ノンビリした小さな田舎町という感じ。徒歩で町の中心の教会や、デニス王によって築かれた要塞内部、ユダヤ人地区と博物館、シナゴーグ等を見学。玄関ドアが面白い。

見学後、専用バスでマルヴァオンまで戻り、一旦ホテルに戻ってから、マルヴァオンの見学。細い石畳の道をしばらく歩くと村の突き当りに要塞(城壁)がある。見晴台に登ると、大パノラマが広がる。

今日の昼食は自由。ガイドブックお勧めのポザーダは高いと言うメンバーの意見で、地元の人々が行くようなレストランを探す。Kさんが、我々の宿泊しているホテルのオーナーに聞いて、色々当たってくれたが適当な所が無く、逆にオーナーから“うちはどうだ?”と聞かれたそうだ。昨日の夕食が美味しかったのと、面倒なので、そこにした。皆それぞれ、好みの物を注文。私はトマトスープ(これは本当に美味しかった)、アスパラのオムレツ(これは普通)タップリ野菜付きにビール。〆て16ユーロで、お腹一杯。

昼食後、少し休んで再び村の見学。小高い要塞の周りを、ぐるっと回り再び城近くの教会へ。残念ながら、中を見ることは出来なかった。その代わり、村の外の少し下にある教会を地元の男性の案内で見学することが出来た。ここでも、色々なアズレージョが使われている。

本日の夕食もホテル内のレストランで、前菜は野菜スープ、タラ・タマネギ・卵の炒め物、苺ゼリー。

料理はどれも美味しかったが、量が多すぎる。せっかくの美味しい夕食だが、ほとんどの人が残した。料理をしたオーナーの奥さんが、心配そうに覗いている。Kさんが、普通の日本人は、こんなに沢山の量は食べ切れないと説明。今度、日本人が泊まった時には、もったいないので加減してください。

明日は、マルヴァオンからトマール、ファティマ、バターリャ、オビドスへ。忙しい一日になりそうだ。

 

23午前、トマールへ。世界遺産に登録されているマヌエル様式の美しい修道院の見学。バスを降りると、おばさんがテーブルに果物を並べていた。我々に干しイチジクを試食させてくれた。私を含めた数人がお土産に買う。修道院の内部は回廊、礼拝堂、僧房等見どころが一杯。

昼食はトマール市内の川沿いのレストランにて、スープ、羊(?)の肉にジャガイモや温野菜の付け合せ、フルーツのシロップあえ。

午後は1917年、3人の子供たちの前に聖母マリアが出現したという聖地ファティマへ。ここには65mの塔がそびえ立つバジリカ(初期キリスト教会堂の形式)と収容人数は30万人以上という広場、約7000人収容できる新バジリカを見学。ひざまずいて祈る、熱心な信者の姿もある。

新バジリカ(下の写真)見学後外に出ると、小雨模様。バスに乗る前にお買い物。ここの近くのお店では場所柄、宗教関係の装飾品や雑貨小物が多い。

聖母マリア出現の三大聖地の一つ・ファティマ見学の後は、世界遺産に登録されているゴシック・マヌエル様式の壮大で華麗なバターリャ修道院へ。王位を狙って攻めてきたスペイン軍に勝利したジョアン1世が聖母マリアに感謝して建設した。バターリャとはポルトガル語で戦いを意味する。

よほど感謝したのか、美しい装飾が施されていて、本当に素晴らしい。内部の一角で青い服の先生の下、数人の若者が修復作業に従事していた。

一旦外に出て天井が無い未完の礼拝堂へ。ジョアン1世の息子により建設が始まるも未完のまま。

見学が終わりバスの方に行くとメンバーのFさんの靴が壊れたとかで、Kさんと現地ガイドさんが付き添い近くの靴屋へ。その時間を利用して携帯のメールを日本に送る。(今回、海外で使える携帯を購入。まだ使い方が不慣れで四苦八苦)

本日、オビドスの宿はマンサン・ダ・トーレ。メインストリートのある城壁からはだいぶ遠い。バスは一旦ホテルの前を通り越し、城壁の前も通り過ぎスーパーマーケットへ。ここでお菓子や缶詰、ペットボトルの水等を買う。ホテルはちょっと変わった造りで、ロビーには車をモチーフにした机とイス、客室横の吹き抜けには熱帯植物、レストランに行くにはガラスのトンネルを通る等。

夕食はここのレストランでプロシュートとメロン(硬かった)の前菜、野菜スープ、メインがカタプラーナ(魚介の煮物)、デザートはプリン。

食後、ロビーの一角にあったパソコンを使わせてもらう。日本語は対応しておらず、下写真の通り。

テキスト ボックス: 私のホームページは、見事な文字化け。

 

24日午前、オビドス近郊の温泉の町、カルダシュ・ダ・ライニャの朝市散策。

野菜、果物、花、編み籠等たくさんの商品が並べられている。日本の柿は、ポルトガルでもカキ。オリーブは試食させてくれたので、一番気に入ったのをカップ一杯分購入。1ユーロで釣りが来た。安い。今日は土曜日なので、出ているお店も多いとか。次に港町ナザレへ。

シティオ地区の展望台から海岸に広がるナザレの町を眺める。そばのメモリア礼拝堂内部にもアズレージョ。近くのノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会の内部も美しいアズレージョが使われていたが、残念ながら撮影禁止。その後バスで海岸に下りる。海岸通には、レストランや土産物屋がいっぱい。砂浜に下りて太西洋の波を感じながら、貝殻や小石を拾う。昼食は、大きな窓のレストラン“マル・ブラヴォ”にて、前菜は野菜サラダ、メインは名物イワシの炭火焼三匹に付け合せ野菜、デザートはカステラの原型パンデロー。

イワシは塩が効いていて美味しかった。折角日本から持ってきたので3匹目には醤油をかけたが、塩だけで十分。食後、アルフェゼロ村のポルトガルでも人気の喫茶店“カフェ・シンデレラ”にて本場のパン・デ・ローをいただく。評判通り昼食のデザートよりも大そう美味かった。

時間が有るので急遽世界遺産のアルコバサのサンタ・マリア修道院へ。

修道院は質素だが、祭壇を挟んで置かれているペドロ1世とイネスの石棺には美しいレリーフが刻まれている。修道院の前で集合写真を撮りバスへ。オビドスに戻り城壁内の見学。

門をくぐると二股の道があり、なだらかで賑やかだという左の道を行く。道の左右の白壁に、ブーゲンビリア等の花が飾られており、レストラン、バー、土産物屋等がびっしり並ぶ。それを見た途端、お買い物大好きの血が騒ぐ。オビドス名物のお酒ジンジャ(サクランボを漬け込んだ果実酒)も、1ユーロでチョコレートのお猪口(?)で試飲できる。甘くて強い。店の途切れた所が城壁の奥。高くなった縁を途中まで歩く。ここで自由時間わずか30分さあ~ショッピング、ショッピング。

オビドスの土産物屋にはフクロウもいっぱい。あっち、こっちの店をキョロキョロ。Kさんも向こうの店に有りましたよと教えてくれる。気が付くと私のエコバッグにはオビドスの文字入りフクロウがいっぱい。もちろん全部は買えず泣く泣く諦め集合場所へ。昨日のマーケットに又寄りホテルへ戻る。夕食はホテルバイキング(デザートは種類も多く美味しい)。結婚式場のような会場にはバンドが入りとても賑やか。今日でサマータイムが終わるからなのか、遅くまで盛り上がっていたようだ。

 

25時計の針を1時間遅らせる。まずガイドさんを迎えにオビドス駅へ。ここは畑の中の無人駅。

リスボンから来たガイドさんと一緒に、作家・壇一雄ゆかりの町サンタ・クルスへ。かつてのひなびた漁村も今は、素敵なリゾート地。この日は天気も良く暖かで、壇一雄が愛したのもうなずける。壇一雄の石碑、表札が掛かっている彼が暮らした家、家の前の“壇一雄通り”を見学後リスボンへ。

昼食は、アズレージョの美しい市内レストランで、メロンに生ハム、鯛のグリル、プリン。

 

さすがリスボンはポルトガルの首都、人も車も多く大都会だ。昼食の後は市内観光。ベレン地区へ。先ずかつては監視塔としても使われていた“ベレンの塔”を、時間が無いので外から見学。その後テージョ川に沿って10分くらい歩き“発見のモニュメント”へ。エンリケ航海王子がテージョ川を向き船の模型を持っている姿は、なかなか凛々しい。さすが2箇所ともリスボンを代表する観光スポットだけあって、両方の周りには世界中から観光客がいっぱい。

川を背中に地下道を通って国鉄の線路をくぐり、インペリオ広場を抜けてポルトガルで最も美しい世界遺産のジェロニモス修道院へ。南門は美しい彫刻で飾られ、内部にはヴァスコ・ダ・ガマやポルトガル最大の詩人ルイス・デ・カモンイスの棺もあり、柱と天井は、ヤシの木を模したそうだ。海洋をモチーフにした彫刻も美しい。

修道院の中庭を囲む二階建ての回廊も美しく、マヌエル様式の最高傑作と言われているそうだ。

今日のホテルトィリム・イベリアは、空港の近くだとか。夕食はホテルレストランで、シーフードサラダ(何とカニカマに冷凍食品(?)のグリンピース、インゲンなどの野菜)、チキンの胸肉のマッシュルーム添え、フルーツサラダ。日本のカニカマ技術は世界中に輸出しているのだとか。それにしても、何でポルトガルに来てまでカニカマなんだ?味もイマイチだし。

夕食後、希望者で9時30分から始まるファドを聴きに、雰囲気のあるファドハウス“ファド・マルケス・ダ・セ”へ。ここではファドの料金というのはなく、客は20ユーロを目安に、食事や飲み物を注文する。今日食べた夕食のことを思えば、こちらで食べた方が余っ程よかった。私は5ユーロのビールを2杯頼み、10ユーロをチップということにした。ファドは3人の女性歌手と1人の男性歌手の4人が順番に、ギターとポルトガルギターの伴奏に合わせて歌う。中でも最後に登場したアレキサンドラさんは、迫力満点でとても素晴らしかった。

 

26日午前、ヨーロッパ最西端のロカ岬へ。岬に近づくにつれ霧が濃くなる。数台のバスが止まり、たくさんの観光客が、断崖の上から海を眺めるも、濃い霧の下の大西洋は全く見えない。只微かに波の音だけが聞こえてくる。何処からか“ここは霧の摩周湖か?!”と言う声が聞こえる。断崖の上に建つポルトガルの詩人カモンイスの詠んだ、詩の一節を刻んだ石碑を写し引き返した。

その後、シントラへ。何とも怪しげなペーナ宮殿を見学。ここはドイツのあのノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世のいとこにあたるフェルナンド2世が、ドイツから建築家を呼んで造らせた城で1850年に完成したそうだ。バス停から城までは坂道を10分くらい歩く。日頃の運動不足がここでもたたり、ハアハア言いながら登ると、色々な様式の寄せ集めの不思議な城が現れる。

怪しげな外観とは違い、内部は各部屋とても素敵だったが撮影禁止なのが残念。昼食は、シントラ市庁舎隣のレストラン。入った途端、ジンジャのウエルカムドリンク。野菜サラダの前菜の後は、シーフードリゾット(土鍋にたくさん入っているのをテーブルの3人で分ける)、デザートはシュークリーム(小さなシュー3個にチョコレートソースかけ)ワイン、ソフトドリンク付き。個人的にはここがポルトガルで食べて1番美味しかった。お腹一杯だ。

午後3時頃、リスボンに戻る。着後、今日まで専用バスを運転してくれたメンデスさんとお別れ。この後は自由行動。私はアズレイジョ美術館へ行きたかったが、あいにく月曜は定休日。皆で、添乗員のKさんや、現地ガイドさんと一緒にリスボンで最も古いアルファマ地区やバイシャ地区散策へ。洗濯物のはためく路地裏や落書きの壁、壁と壁の上空を飾るモール、街中の焼き栗屋・花売り屋台、街角の彫刻、ケーブルカー、路面電車、カテドラルをスケッチしている人等、生活の一部を垣間見る。街角の缶詰専門店は店中缶詰が並べられ、とても面白い。

バイシャ地区のサンタ・ジュスタのエレベーターに乗って、頂上の展望台から街を眺めようと近くまで行くが、大勢の人が順番待ちしていた。時間が無いので残念ながら断念。

地下鉄でホテルの近くまで行き、ホテル近くのスーパーで最後の買い物をすることに。地下鉄駅構内には、何故か変わったスタイルのマネキンが。地下鉄の切符は回収されること無く、記念にもらった。ホテル近くのスーパーは複合商業施設という感じで、建物の屋根はロシア風のタマネギ型。

夕食は、昨日と同じホテルでマッシュルームパイ、豚肉のソテー、オレンジケーキ(伊達巻のオレンジ味と言った感じ)

 

明朝は、帰国の途に着く。モーニングコール3時30分。4時40分ホテル出発。最後の荷物整理。先ほどのスーパーで買ったポルトガルのワインが割れないようにトランクに詰める。寝坊しないように早めに寝る。リスボン国際空港は、ホテルから約20分の所にあるそうだ。

 27日ロビーに集合すると、Kさんから“朝食です。”と、おにぎり・サンドイッチ・飲み物等の入った包みを渡される。おにぎりの材料をわざわざ日本から持って来て、集合時間までに握ったらしい。懐かしくて美味しかったが、ポルトガル料理は日本人の口にも合っているので、大変な思いをしてそこまでしなくても......。でも、ごちそうさまでした。

 

出国審査の後、6時55分発のルフトハンザ航空にてフランクフルトへ。所要時間3時間。時差が1時間あるので、ドイツ時間10時55分フランクフルト着。着後、ルフトハンザ航空を乗り継ぎ名古屋へ。出発まで時間が有るので(14:20発)、メンバーのSさんと一緒に、旅の無事を祝いビールで乾杯。免税店で最後の買い物をして飛行機へ。所要時間11時間35分。時差8時間。

 

 

 28日名古屋着9時55分。中部国際空港到着後、入国審査・税関検査。名古屋から函館行きの飛行機に乗る1組の御夫婦と別れ、残りメンバーは名古屋発12時の全日空で新千歳空港へ。着後解散。あっという間の11日間。添乗員Kさんには色々お世話になりました。

楽しい旅行だったが、只1つ心残りはロカ岬。霧のせいでヨーロッパの最西端まで行った実感がイマ1つ。次回はきっとな~んて。

                                                   

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