万年雪のパミールを越えて
(カシュガル-タシュクルガン-フンザ-ギルギット-ベシャム)

 2011年7月5日(火)から11日間の予定で“万年雪のパミールを越えて”というツアーに参加した。北京からカシュガル、国境の町タシュクルガン。クンジュラブ峠を越えてパキスタンへ。宮崎アニメ“風の谷のナウシカ”のモデルの地と言われているフンザ地区、南に下がりギルギット、ベシャム、首都イスラマバードから北京へ戻る、ぐるっと一周の旅である。去年の1月4日に土砂崩れが起こり、河が塞き止められ大きな湖(アッタバード湖)が出来、カラコルムハイウエーの一部が水没していた。

 

5日我々一行は男性3名、女性2名のメンバーと男性添乗員のMさんの計6名。新千歳から北京に行く飛行機が、昨今の事情でキャンセルになり羽田経由で13:50分発の中国民航にて、北京へ。機内食が3時過ぎに出て来たが、味はイマイチ。時差1時間、時計を遅らせる。今日は飛行場近くの国都大飯店に宿泊。夕食は近くのレストラン。

 

6日9:45発の飛行機でウルムチへ(4時間10分)。機内食1回。ウルムチの飛行場は24年ぶり。新しく、きれいで土産物屋も充実している。あまりの変化に、ただただビックリ。

ウルムチ発15:05発の飛行機を乗り継ぎ(1時間55分)カシュガルへ。新疆方面だけなのか、搭乗するのに国際線並みのチェック。私もペットの水没収、何がひっかかったのか分からないがバッグの中をひっかきまわされた。カシュガルの飛行場も立派な建物だ。現地ガイドのムラティさんが出迎えてくれた。今日のホテル色満賓館(3ツ星)は旅行者1番人気とか。

ホテルの部屋で少し休憩後、ホテル敷地内のレストランで夕食。名物のラグ麺も。

夕食が終わり夜8時を過ぎても外は明るい。ホテルの周りを散歩する。

ホテルに戻りシャワーを浴びようと、“熱”の方を回すがお湯が出てこない。“冷”の方を回すとお湯が出て来た。この洗面所だけが配管ミスなのかと思ったら、他のメンバーの洗面所も同じだった。夜中12時過ぎに向かいの部屋の前の廊下から、女の怒声がしばらく続き、うるさくて眠れない。ドアの覗き窓から覗いてみる。全く夫婦喧嘩(?)は、ドアを閉めてやれ。

 

 7日こちらは北京時間よりも、3時間くらい遅いようである。8時半からビュッフェスタイルの朝食を済ませ、10時から観光スタート。まず“香妃墓”へ。

建物の中は撮影禁止、外観はだいぶタイルが剥がれている。香妃だけでなく、一族のお墓があった。隣の敷地に一般の人の現在のお墓もあった。次は楽しみにしていたバザールへ。

屋根付きの大きなバザールは、衣料、ドライフルーツ、香辛料、日用雑貨など小さな店がいっぱい。カモ(興奮しているバザール大好きの私)を見つけたおじさんに呼び止められ、1枚100元という民俗柄のスカーフを3枚220元で購入。あっという間に集合時間。迷子になってしまい、近くの人に道を尋ねる。私の怪しい中国語が何とか通じて、皆と合流。やれやれ。

一旦ホテルに戻り、同じレストランで昼食。ホテルの部屋で一休み。暑いので午後の観光は4時から。エイティガール寺院へ。外観は新しく、思ったほど大きくはなかった。

寺院を出て職人街へ向かうと雨がぱらつき出した。そのせいでじっくり見学も出来ず、2,3の店を覗くことができたが時間が足りなくて残念。楽器店の店主が弾き語りを聞かせてくれた。

ここの年間降雨量が日本の約1日分だそうで、何でこんな時に降るんだ(怒)。川の辺を散歩して、夕食のレストランへ。今日の夕食はウイグル料理。 デジカメをイスから落とす。今まで写したデーターが出てこない(泣)。多分カードにはデーターが残っているはずだが???

ホテルに戻ったが、外はまだ明るいし雨も上がった。ホテルで休むと言う最年長のKさん以外の5人で街を散歩。それぞれ以前5年前、9年前にカシュガルに来たことのあるIさんとHさんが、まるで違う街に来ているようだと、街の変わりように驚いている。

さてデジカメだが、落とす前のデーターは?メモリーカードが落としたはずみで少し飛び出していたのだ。きちんと入れ直すと、データーが出て来た。(やれやれ)本日も12時過ぎにホテルの廊下で、ウイグル人が大声で携帯電話を掛け、数名がドタバタ走り回っている。

 

8日9時30分ロビーへ。昨日から夏休み入ったというムラティさんの長男のダニアール君(12歳)が荷物運びを手伝っている。今日は彼も我々に同行する。バスが15分くらい走った所で、運転手の汪さんが変な音がするというので、峠を越えることだし安全面を考慮して旅行会社に引き返し、点検修理。1時間後ようやく出発。途中オパール村で休憩。ハミウリ試食。

途中、漢方薬やお茶を売っているレストランで食事。トイレは昔の中国式ドアなしトイレ。

ブルングル湖に行く途中検問所有り。歩いて係員にパスポートを見せ通過。ブルングル湖はきれいな湖だったが、水力発電の工事をしており、いずれはダム湖になるらしい。

途中、景色の良い所で休憩。

その後、ムスターグ・アタ山(7546m)の麓にあるカラクリ湖へ。万年雪の崑崙山脈に囲まれた、ここも美しい湖。バスが駐車した所は、我々の他に誰もいない。貸し切り状態。

夕方にはタジク人の町、タシュクルガン着。途中、暑かったがここは標高が高いためか(3100m)少し涼しい。カシュガルが都会ならここは静かな田舎町といった所。先ず石頭城見学。

大小の石がゴロゴロ、歩き難い。

ここでダニアール君と会話の練習。彼は初めてここに来たそうだ。どう?と聞くと、不好。どうやら12歳の彼にとって古い城跡は興味がないようだ。夕食は市内レストラン。

 

今日の宿は石頭城近くのパミール賓館。お風呂はシャワーのみ。標高のせいか少し頭が痛い。夕食のナスが油濃かったせいかちょっと胸焼けがする。今日は早めに寝ることにする。

 

翌朝、ホテルの回りを散歩したメンバーの話によると石頭城の前方に広がる美しい草原に、遊歩道が出来ていたとか。こんな所にも開発の波が??

 9日ホテル近くのレストランで中華式お粥の朝食。すぐ側にウサギ小屋がある。朝食後、国境を越えるために税関へ。カシュガルに着いた日、ムラティさんが手続きをしておいてくれたので、ここでは特に問題も無く、バスの通行許可を待った。ムラティさん親子とここでお別れ。

バスの通行許可もようやく下りて、バスに乗り込む。12時少し前、やっと出発。添乗員のMさんが、昼食用にとパン、卵、果物ゼリー等を配る。バスが約2時間走った所の国境近くでパスポート検査。クンジュラブ峠の、よくテレビに出てくる中パ国境の石碑の前で記念撮影。

中国側のカラコルムハイウェーはそれなりだったが、パキスタン側に入ったとたんガタガタの悪路。あっちこっちで補修している。周りは万年雪の高い山並みが連なり景色は申し分ないのだが、うたた寝をするとすぐ窓に頭をぶつける。この道をパキスタン側のスストの税関まで約3時間ちょっと走る。汪さんのドライブテクニックに皆で感心するが、彼とはここでお別れ。

税関でパキスタン側のガイド、ザイードさんが出迎えてくれた。入国検査、手荷物検査といっても機械が有るわけでもなく、スーツケースに違法な物は入っていませんね等口頭質問のみで、無事OK。ザイードさんの案内で、徒歩で近くのレストランで昼食。バスの中で配られた昼食を食べたんだけど?どうやらあれは軽食スナックでパキスタン時間のスケジュールで(中国との時差3時間)これから昼食とのこと。それにしても、もう3時過ぎ。客は我々一行のみ。インド料理に似ていて、お腹一杯のはずなのに、皆美味しいと言って食べた。デザートも美味しかった。

今日はパスーのホテルアンバサダーに泊まる予定だったが、去年(2010年)1月4日に大規模な土砂崩れが起こり、フンザ川を塞き止め大きな湖(アッタバード湖)が出現しカラコルムハイウェーも一部水没してしまった。その影響でホテルの水周りに問題が発生し変更に。

途中ビューポイントで撮影タイム。

湖を渡る交通手段はボート。(我々一行の貸し切りである)非常に足場の悪いボート乗り場でスーツケースを積み込み、約50分。フンザ地区のグルミット村へ。船の上からの景色は雄大で美しく、所々運河の雪解け水が流れ込んでいる。水没したカラコルムハイウェーも見える。

今日の宿はグルミット村のホテルマルコポーロ。部屋の正面に大きな窓のある(外を通る人が丸見え)ホテルで、バスタブもありお湯も出るが、すぐに停電。(自家発電ですぐに点くのだが)部屋には備え付けのローソクもある。只部屋の前には美しい山々が広がっている。

奥に見える建物が右の写真。大きな窓付き。

ホテルレストランで夕食。時々停電したが、美味しかった。キャベツはバター醤油味、キーマカレー(ヤクの肉とグリンピース)、デザートはプリンにサクランボ。明日か明後日にフンザでお祭りがあるらしい。聖人の誕生日とか。我々がいる間に見られると良いねと皆が思った。

 10日レストランで朝食後グルミット村散策。最年長のKさんは疲れているので、ホテルの周りを散歩すると言う。1時間くらいかけて上から村を見下ろすビューポイントへ。普段あまりかけないメガネをかけてみる。遠くの山々がはっきり見えるようにと思ってのことだが、山どころか近くのポプラもはっきりくっきり見えて、まるで3D映画のようで、一人で喜んでいた。埃っぽいなだらかな坂道をヘリポートまで登って行く。途中出会った村の人を写させてもらう。

途中の景色も上からの眺めも、ここが桃源郷かと思わせる絶景だったのだが......。下る途中湖が出来た為に家も畑も水没したという、織物の先生一族の仮設住宅(?)におじゃまし、お茶をごちそうになった。その後、その先生と一緒に村の入口近くにある織物工房へ。

写真上のサイズのラグが1枚50ドル。高いとは思ったが、ここの家族も避難民と思うと値切る訳にもいかず、少しくらい協力しょうと思えてくる。私とIさんが2枚ずつ購入。ホテルに戻り昼食後、またボートに乗ってフンザ地区のカリマバードへ出発。


餃子風スープ。デザートのクルミのプリンは美味しかった。

昨日と同じボートで湖を下る。途中たくさんの乗客や荷物を乗せたボートとすれちがう。

ここの船着場は昨日よりももっと足場が悪く、数人の現地男性の手を借り引っ張り上げてもらう。オープン四駆の車2台に分かれて乗り込む。相変わらずのガタガタ道は、ひどい埃で昨日ザイードさんからもらったマスクとサングラス代わりの眼鏡、帽子にストールの完全防備。

時間が早かったので、明日行く予定のナガール村にあるホパー氷河へ。休憩所や売店のある建物の横を抜けて崖の上を登って行くと、眼下に雄大な氷河が迫る。こんな崖の上まで物売りが。足の悪い、目もあまり良くなさそうなおじいさんが、ちっちゃなルビーの入った小さな原石等を2ドル、2ドルと言いながら売りに来る。人の良い(?)私はつい2個購入。

来た道を途中まで戻り、2つの川の合流地点の景色の良い所で撮影タイム。ちょっと雲が......

一路カリマバードへ。埃まみれになった体を早く洗いたい。今日と明日カリマバードのフンザエンバシーホテルに宿泊。部屋の作りは昨日と似ており、ドアの横には大きな窓がある。

夕食前の休憩時間に急いでシャワーを浴びたが、髪が生乾きだ。しかたがないので、大きめのスカーフで髪を隠し現地の人気分を味わう。夕食も郷土料理で民族音楽と舞踏付きだ。

 

11日朝食は7時からだが、8時に行くと食べ物はほとんどなく、人もいない。これから食べようというのは私だけのようだ。残っているのはお粥のみ。ただ日本のふりかけが。日本人が置いていった物らしい。これからトレッキングに行くという日本人ツアーの団体が出発。

今日は先ず、バルチット古城の見学へ。昨日の車がきれいに洗車されている。バザール(メインストリート)を抜け、きつい坂道を進んで行く。普段車は通れないそうだが、通行許可をもらって故城へ。内部は色々な物が展示されており、1945年まで実際にフンザの王様が暮らしていたそうだ。城の中には牢獄まであり要塞のようだ。屋上の眺めもまた素晴らしい。

屋上からの眺め。内部撮影は5ドルかかる。

帰りは徒歩で来た道を戻り、先ほどのバザール散策。ここでは珍しい女性経営者のお店の、揚げ物(さつま揚げのような味)をごちそうになる。

フンザのお土産と言うことで、刺繍製品、干し杏、クルミオイル、杏オイル等を紹介される。クルミオイルは以前きのこ炒めに使用した。杏オイル?試しに買ってきた。現地の人が何に使うのか聞きそびれた。帰ってネットで調べたらヘアケア用に使うらしい(椿オイルのような)。

ここからホテルまではそんなに遠くないので、自由に散策してホテルに戻ってくださいということで、色々覗いて見る。ここでもカモを見つけたおじさんが手招き。宝石が並んだケースの中から、3本のルビーのネックレスを取り出して一番高いのを指差し、これはフンザルビー、グッドクオリティー、イスラマバードでは倍の値段だと言われつい購入。あ~~

ホテルのレストランで昼食後、ハセガワ・メモリアル・スクール(ウルタルⅡ峰で雪崩に巻き込まれて亡くなった登山家の長谷川恒男さんの遺志により建てられた学校)へ。あいにく学校は休みだったので、外観だけ見学。生徒のために折り紙を用意して来た、カメラ好きのKさんは、ちょっとがっがり。ガイドのザイードさんに託した。

奥さんの長谷川昌美さんが故人の遺志を引き継ぎ1999年4月開校。そのことがかかれたプレートがあり、下の方には協力した人々の名前が。遠くの方から祭りの音楽隊がやって来た。タータンチェックにバグパイプはイギリスの影響?村人がぞろぞろついて来る。今日と明日は、宗教指導者アガ・カーン4世のお祭り。晴れ着を着ている人もいる。

次にシルクロードの有った所に作られた用水路を見に行く。途中の民家にお邪魔する予定が、家人がお祭りを見に行って留守だったので、急きょザイードさんの友人で日本語の話せる男性のお宅訪問。ここの家族はフンザの王様の親戚だそうで、立派なお宅だった。

この後イーグルズネストホテルの上の崖を登り夕日を見に行く。残念ながら夕日は出て来ず雲が少し赤くなった程度だった。携帯電話で話している人がいた。試しに日本にかけてみる。

こんな山の中からも通じた。これ以上きれいな夕焼けにはならない、ということで引き返す。

 

崖を下っていると、下から登ってきた可愛い少女が私と一緒に写真を撮りたいと言う。彼女の家族が写真を撮ってくれ、別れ際その少女が私に、“ユー・アー・ソー・キュート”と言ってくれた。出来上がった写真をじっくり見た彼女が、ショックを受けなければいいのだが(笑)。この後、ここで1番景色が良いと言うホテル2階の屋外レストランで、ローソクの下夕食。

周りの山々の所々に光が見える。ボーイスカウトが古いタイヤの中で火を燃やし、下に落としている。光が下に落ちて来て流れ星のようだ。きれいな月と、真上に北斗七星が見え料理も美味しく、素晴らしい夕食だった。

 

 12日朝食後先ずビューポイントへ。風の谷とも今日でお別れ。名残惜しい風景だ。いつか機会が有ったら杏の花の時期と紅葉の時期に又来たいものだ。

お祭りを見に行くにはまだ少し早いので、チャイハナの2階で下を見ながら時間つぶし。

いよいよお祭り会場へ。入口近くではポップコーンやカキ氷が。

我々の向かい側に、宗教関係者や司会進行役。我々の並びに王様がいらしたそうだが、お目にかかれなくて(座った位置が悪くて)残念。峠越えをして1ヶ月間旅している日本人大学生がメンバーのIさんと話している。彼は祖国が今どうなっているか心配していたそうだ。

 

時間が無いので残念ながら途中で退席。アッバスのビューポイントへ。

この後ギルギットへ向けて出発。途中、ラカポシピークのビューポイントにあるレストランの庭で昼食。ラカポシを背景に、木陰で川の音を聞きながら優雅なひと時を過ごす。

今日からは小型バス1台で皆一緒である。道は相変わらず埃っぽいデコボコ道。昼食後、約2時間掛けて、カールガーの磨崖仏を見に行く。仏像の周りには、彫った時の足場の木材を入れた穴が残されている。崖下の冷たい川の辺にユーカリの樹が赤い花を付けている。

バスに戻るとザイードさんが、さっき川の水につけていた袋を取り出した。中にはフンザに住むお母さんからもらったと言うサクランボが入っていた。その川の水で冷やしたアメリカンチェリーの様な、すごく甘くて美味しいサクランボをごちそうしてくれた。バスはギルギットへ。

フンザに比べてここは都会。道行く人の顔つきも何だか怖そう。中心部にあるバザール見学。そのはずれにあるシルクロードの頃から使われている吊り橋(現在のものは5年前に架けられた)も見に行く。あまり広がらないでくださいと言われザイードさんの後ろをくっついて歩く。日用品中心のバザールで女性を見かけない。ゆっくり見て回ると言う雰囲気は無い。

ホテルが変更になる。グレードアップのきれいで立派なセレナホテル。セキュリティが厳しくベランダの窓からラカポシが見える。

夕食はホテルの庭で、夜空の下バーベキューとビュッフェ。明日は5時起き、7時出発。

 

13日7時に出発。彼方にフンザとは形の違うラカポシとアラウシが見える。ギルギット川の流れに沿って下ってくるとインダス川との合流地点に来る。ここから先はインダス川となる。

途中、ナンガパルバットが良く見える休憩所でチャイをいただく。

約5時間かけて、チラスの岩絵を見に行く。外は非常に暑く40度近く有りそうだ。途中に温泉が出ている所があったが、非常に熱かった。川の水と合わせて足湯でもやれば良いのに。

昼食のレストランの中は、天井も高く涼しかった。

昼食後、シャティアールの岩絵を見る。約2時間かかったが、こちらの方がはっきりしている。

ベシャムへ向かう途中、ドライバーさんの休憩。男性は近くで用を足し、チャイハナでチャイを注文している人も。どうやらトイレはなさそうだ。私とIさんの女性2人は我慢。

休憩も終わり、しばらく行くとバスが崖の上で止まった。崖下の川の辺にドライバーさんの家がある。ドライバーさんがバスから小麦粉の入った袋を降ろしている。子供達が取りに来た。

ちなみに、2人の妻と10人の子供がいるそうだ。その後、トイレタイムが1回有りやっと一息。8時過ぎやっとベシャムのホテル(PTCDモーテル)に着いた。そのままレストランで夕食。広いレストランには、アコーディオン・カーテンで仕切った個室が。中で大勢の人がパーティをしているようだ。レストランの隅で、民族衣装のエキゾチックな女性が、アップルコンピューターに何か打ちこんでいる。ちょっと不思議な光景だ。

部屋に入って洗面所で髪を洗う。シャワーが出ないので、ためてあった水を体に掛ける。

 

 14日9時出発。カラコルムハイウェー建設の記念碑を見学。そこへ一台の車が止まり、添乗員のMさんと挨拶している。乗っていたのはパレスチナ人と日本人のハーフで札幌の南区に住み、ここに学校を建てるNGO活動をしている女性が。昨夜のレストランにいた人だ。

彼女の乗った車(ドライバーさんとその家族も同乗している)と抜きつ抜かれつしながら途中休憩。チャイを飲んでいると、彼女一行もやって来た。

彼女たちとも別れ我々はアボッタバードへ。ここで昼食。Mさんが皆におにぎりを配る。久しぶりの日本食で嬉しかったが、一番喜んだのは日本食が大好きなザイードさん?

さて、アボッタバードと聞いてピンと来る人はニュース通。例のビン・ラディンがアメリカ軍に殺害された所である。ところがこのニュース、パキスタン国民の99%が信じていないんだとか。ほとんどの国民は“アメリカのやらせ”だと思っているそうだ。穏やかそうな街だった。

昼食後タキシラへ。世界遺産の遺跡群の見学。ジョウリアンの仏教遺跡。僧院跡や多くの壊されている仏像が保存されている。

次にシルカップへ。昔の街の跡。ここが最後の見学と思うと、長かったような短かったような。

夕食はイスラマバードで。なんてったって首都である。今迄で一番立派な建物である。セキュリティも厳しく中に入るにも一苦労。パール・コンチネンタルホテルのレストラン(たぶん)バイキング形式。デザートの品数も半端じゃない。現地受け入れ先の社長さん登場。世界で4番目、パキスタンで初めてK2に登った英雄だとか。

夕食も終わり、空港へ。荷物検査で最年長のKさんが引っ掛かっている。ナイフを10本買ったのだそうだ。証明書を貰っているそうだが、日本から持ってきた果物ナイフが問題に?どうやらパスして、皆ようやく荷物を出す。北京経由で帰国予定。接続時間は2時間20分だが出発時間の2240分になっても動く気配が無い。とりあえず10ドル払いソフトドリンク、軽食つきのVIPルームで出発を待つ。

 15パキスタン航空は3時間遅れで出発。よく分からないのだが、この便は北京経由で成田まで行くらしい。Mさんが交渉し人間だけは成田まで行くのは可能だが、荷物が北京までとなっている。所要時間5時間25分北京着。中国民航の職員に訳を話し荷物を何とかしようとしたが、ここからは予定通り民航を使えの一点張りで、成田から新千歳接続までに55分ある民航を使えと言う。その便の出発時刻も迫っている。しかたなく民航職員に誘導してもらい大慌てで、荷物を受け取り又預ける。ようやくその飛行機に乗り込む。

55分あれば何とかなりそうだ。荷物も最初に出してもらうように手配。ところがこの飛行機、何と1時間遅れて出発。オリンピックや万博を開催し世界第2位の経済大国になった中国だが、相変わらず融通が利かないし連携も悪いし、ソフト面ではまだまだ。

 結局1855分の新千歳行きには間に合わず。成田に着いた途端、添乗員のMさんが、この後どうするか、各方面に連絡を取りながら走り回っている。結局この日は帰宅できず飛行場近くのホテル(エクセル東急)で1泊。明日1025分発の便で新千歳へ。

166時半に朝食を食べに行くと、皆もう食べている。海苔、温泉卵、梅干等久しぶりの日本食はやはり美味しい。1025分発のJALで新千歳へ。12時10分着。新千歳に着くと妹から携帯にメールが。昨日、空港に新しくショッピングモールがオープンした。(昨日、帰っていれば時間的に寄れない)何かスイーツを買って来いという。やっと現実に戻ったような?Mさんには、飛行機が遅れたせいで、我々のために色々がんばってもらい、とても感謝している。これから責任問題で大変だとか。(やっぱり民航のせいだと思うのだが)搭乗出口で解散。色々有ったが、とても楽しい12日間だった。さ~てと、スイーツ・スイーツ。

 

 

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